~エピローグ~ 感動をありがとう!



11月20日(金) ライヴ終了後 打ち上げ


1時間遅れで打ち上げスタート!

ライヴも無事終了。あとは楽しい打ち上げ!という事で再び『打ち上げ大臣』の登場です。さて、この日はライヴが完全に終了して、メンバー全員が行ける時間を考えて午後10時開始を設定。しかし、殊の外後片付けにてこずり、スタッフ&メンバーがお店(『世界の山ちゃん住吉店』)に到着したのは午後11時という事態になってしまったのでした。それまでの1時間は、名古屋の媒体の方など6人のみで進行。しかもスタッフが誰もいない中で1時間打ち上げをして頂いたという・・・打ち上げ大臣の失態を見せてしまいました。しかし、メンバー到着後は『待ってました!』とばかりに大盛りあがり大会!割さんもすどぱぁもライヴの大成功に大喜び。良い笑顔を見せていました。それは下に載せた写真を見れば一目瞭然!
割さんの乾杯! 顔をクシャクシャにして楽しむすどぱぁ
ディレクターの小澤さん(写真左下)も
東京からやって来たー!
うわぁ、女同志の
抱擁パーティーかっ!

2次会へ突入!でも、割さんがおかしいぞ!

1次会の次は、やっぱり2次会でしょう。次はエフエム愛知の渡辺さん行き付けの店へ。昨日解禁されたボジョレ・ヌーボーをみんなで飲みながら1次会同様楽しく過ごしたのでした。が、しかし・・・割さんの身に変化が・・・・それでは写真で説明していきましょう。まず下の写真ですが、左上、帽子をかぶってサングラスをした割さんがいますが・・・隣にいるすどぱぁが楽しく話をしているのに何か上の空って感じ・・・目の辺りも赤くなっててタバコを吸いながら何処を見ているのか分からない表情を浮かべています。そして、写真右・・・ここには割さんは写ってなくて・・・私が写ってますが(笑)すどぱぁの横にいた割さんは、カメラに入ろうとせず、寡黙だったのが気になりました。つまりこの時点で割さんは完全に煙草を吸う石になっていたのです。
割さん、なんかヘンだよ すどぱぁの横で割さんは?
その後、割さんの横に東芝EMIのディレクター小澤さんが座ったんですが、当初から割さんは上の空でした。そんな割さんを挟んですどぱぁと小澤さんは話をしてますが、その後割さんは、”石”が崖から崩れて粉々になったかのように”眠り”に入ってしまったのです。その後、『大蔵大臣』として精算などを済ませるために割さんは起きたのですが、何処となくボーッとしている感じ。そして、『3次会に行こう!』と一行は店を出たのですが、すどぱぁの友達4人など帰る人を見送ってる際に私がカメラを向けると割さんだけカメラ目線。普段はカメラを向けると照れ隠し?のために何かポーズを取るのですが、この時は無表情。それに、何処となく『にやっ』と笑っているのが気になります。大丈夫?割さん?
粉々に砕かれた”石”だ! 割さんの目がなんか怪しくない?

人間の自然の表情

『さて、3次会だ!』と盛りあがっていたのですが、既に時間は深夜3時を経過。もう営業している店はないという考えから『ホテルの部屋でやりましょう!』という事になり、メンバーの中で1番酒が強い?森さんの部屋へ・・・。この時点でのメンバーは、割さん、すどぱぁ、小澤さん、森さん、芝さん、小林さん、エフエム愛知の澄田さん、私の8人。ベッドの上に4人が腰掛け、床に4人というアンバランスな配置。それにしても狭い部屋によく入ったもんだ。なにぶん深夜である事からメンバー全員は小声で会話。その中でも芝さん(しばっち)の低音が妙に響いておりました。静かな会話が続いたからでしょうか?この頃割さんの疲れはピークに。写真のように眠ってしまったのですが、その顔は何故か笑い顔。夢の中でライヴはまだ行われていたのでしょうか?よっぽど嬉しかったんだね~割さん。そして、時を同じくしてディレクターの小澤さんもベッドと壁の隙間に挟まれるように眠りに就いたのでした。
笑いながら寝る人 わずかな隙間で寝る人
そんな中でも、森さん、芝さんは絶好調!ちなみに下の写真の芝さんは、眠っているのではありません。フラッシュで思わず目を閉じてしまったのです。
森さん、芝さん、小林さんは
まだまだイケる!って感じ?

東京に帰らなければ・・・

深夜4時までの大宴会から明けて・・・一行は帰京の途につきました。『なんだ、もう帰るのか~』と寂しくなってしまいましたが、チェックアウトの午前10時にホテルロビーに集合。そこで、車組と新幹線組に分かれたのでありました。それにしても、名古屋に7年住んだ私でさえも知らなかったホテルを探したすどぱぁは凄い!『宿泊大臣』の任務を全うしたね。
2人とも寝不足じゃないみたい 『宿泊大臣』が見つけたホテル
左が車組から撮った新幹線組の写真。右が新幹線組から撮った車組の写真。例のように相互撮影となりました。お互い、気をつけて帰ってね。
新幹線組も一応気をつけてね 車組は3人でゆっくり帰りま~す

それぞれの様子

新幹線組は名古屋駅の地下でお土産などを買い物。午前11時30分頃の新幹線で東京へ。一方で車組は、『まずは飯を食おう』と、名古屋インター近くの『山本屋本店』で味噌煮込みうどんを食べたのでした。ちなみに”かしわ入り味噌煮込み+ご飯(漬物付き)”う~んと合計・・・幾らだったっけ?忘れました。
すどぱぁのお母さんは1本指ピース 味噌煮込み最高!

着いた!着いた!

新幹線組は午後1時30分頃無事に東京駅着。一方、我々車組は帰りが本当の勝負。ここで事故を起こしちゃ大変!とばかりに慎重に運転して帰ったのですが、すっかり車にも慣れた私と小林氏は時速100キロで走行。休憩2回取って、6時間弱の早いペースで東京インターに着いたのでした。しかし、土曜日夕方という事もあり、都内一般道は大渋滞。途中、ドラムのしばっちの荷物を降ろそうと、『芝さん、あと5分で着きます。○○で待ってて下さい』と連絡を入れた割さんでしたが、5分が20分になるほど・・・寒い中しばっちを待たせてしまったのです。さて、今回のゴールも行きと全く同じすどぱぁ邸。備品やたくさん頂いた花などの荷物を降ろすがためでしたが、無事の到着に『お疲れ様でした~』と笑顔でお出迎え。荷物を降ろして近くのデニーズへ食事に出掛けたのでした。
車組も無事到着 帰京した東京Qチャンネル
さて・・・食事と言ってもここが牛嶋の取材チャンス。今回の流れをたどって情報を整理。と同時に2人に今回のライヴの独占手記を依頼したのでした。
割さんを取材? うわぁ、なんか間抜けヅラだ!

~エピローグ 番外編~ Qチャンを支えた素晴らしき仲間たち


私が言うのもなんですが、今回のライヴは、たくさんの人達の協力があってこそ成功した!と言えるのではないでしょうか?ここではそんな素晴らしき仲間たちを写真を載せて改めて紹介しましょう。まずは、やっぱりサポートメンバーから・・・
ギターの稲葉成秀さん ドラムの芝 典生さん ベースの森賢一郎さん
『効果音大臣』の
”サトケン”佐藤健一さん
『舞台大臣』の
元研音の小林龍生さん
エフエム愛知の澄田さとみさん
実は左の小林氏とカップルに?
『関係者受付大臣』の
(左)守谷勢津子さん
(右)大橋智子さん
『グッズ販売大臣』の
(左)柴原綾子さん
(右)天川紀子さん
ディレクターの
東芝EMI
小澤正直さん
Qチャンを発掘した
研音の横田信司さん
マネージャーの
研音の和久純史さん
東芝EMI名古屋営業所の
(左)奥村泰之さん
(右)高橋しのぶさん
最後に・・・
この人がいなければ
すどぱぁの存在はなかったのだ!
最大の功労者である?
すどぱぁのお母さん


須藤光江さん

その他、たくさんの方に支援して頂いたのですが、
写真を載せられなくてごめんなさい。


東京Qチャンネル独占手記!

『東京Qチャンネルin自力本願寺』の思い出は、長い。のでので、当初この『手記』も、書けば書くほど、書きたいエピソードが出て来てしまう現象に陥り、物凄く長~くなってしまった。しかし、あまりにも長い挨拶ってヤツは、結婚式でも嫌われちゃうのである....。ん~~~~やっぱり、書き直しだわっ!(それでも長いか(笑))

「ライブしたいねぇ」と話が出たのが、確か今年の春頃だったから、平成10年はなんとなくずっと『自力本願寺な気分』だった...(どんな気分かは、内緒。)当初この話は『東京でやろう!』というものだったのが、いつの間にやら『やっぱり名古屋かね?』となり『となると、Qチャン2人だけで出掛けて行ってアコースティックライブが精一杯?』のはずが『いやぁ~~!やっぱりバンドでしょぉぉぉ!』と、話はどんどん膨らみ、『行こう!フルバンドでやろう!』『バ~ンとグッズなんてのも作ってみましょうかぁ!!』とまで行ってしまった。たった、Qチャン2人で企画進行してみよう!というのに....である。

ライブ告知用の『究新聞』を作って送るだけで、1か月半....。『Qチャングッズ』に於いては....。『プレゼント』じゃなく『商品』なんだ!と思うだけで、妙に緊張感があって、試作品&失敗品を前に『これで、はたして買ってくれるのかなぁ?』『それ以前に、売っていいのかなぁ?』と....インクの匂いの充満する部屋で、悶々と悩んだりしたのだった....。危なかった(笑)。

もはや2人だけでは、絶対進められないと悟ったQチャン。。。『自力本願寺』と銘打ちながら、結局『他力本願寺』? 友人、知人の力を借りて、どうにかこうにか、、、11月20日に辿り着いた。

私の過去のライブの思い出は『ライブ当日』の記憶がほとんどである。それは、ライブの準備段階の苦労を見せずに、本番だけに集中させてくれた、スタッフの皆さんのお陰であったということが今回身にしみて分かった。『自力本願寺』の思い出が『長い』と言ったのは、そんな気持ちから...である。特に『こだわり』の強い?Qチャンライブを陰でささえるのは、大変だったはずだ....。感謝したい人をあげたいが、書ききれない....。ひとりずつ、お名前を上げられないことお許し下さい。

そして、18時35分。
観に来てくれた、満員のお客様の前に立った。
なつかしい顔、顔、顔。
一緒に歌ってくれる声。
笑い声、拍手。

嬉しかった....すごく、楽しかった...。

夢のような時間....。
あっという間に過ぎて....。

楽屋に伝令が走る!
『グッズ15分間で完売だって!!』
..........うそ.........。
************************************************

牛嶋さん。素敵なレポートを、本当にありがとうございました。HPだけでなくライブ全てにおいて御協力下さったこと、心から感謝します。今度は必ず『本業』の方でお手伝いをお願いしますね!(もう、なんか頼む気でいる(笑))これからも、宜しくお願いします。

最後に、割さん。本当にお疲れ様&ありがとう。このライブは忘れないよ。あなたのアイディア、企画力、実現へのエネルギーに、感服します。Qチャンの『頭脳』『顔』そして偉大なる『指揮者』....ですね、ホント。『Vamos a fiesta!』でドラムを叩きながら、後ろから『歌う背中』を見て、そんなことを思ってました....。割さんあってこその、東京Qチャンネル。ありがとう、しか言葉がないです。....これからも宜しくお願い致します!
『スタッフの方々、来てくれたみんな!本当にありがとう。』 須藤まゆみ

1998年12月8日(火)自宅、コタツの間にて。

<最後のアンコール>

拍手の後の静寂・・・。
頬に感じる聴衆のまなざし・・・。

飽きるほどひとりひとりを見つめていたいはずなのに、
顔を上げられない僕がいる。

闇を切り裂くスポットライト・・・。
張りつめた磁力は空間を歪ませ、体内時計を狂わせる。

弾き慣れたイントロが、どうしてこんなに怖いのだろう・・・。

自由を奪われた指先の踊り・・・。
今にも秩序を忘れそうな音符の整列・・・。

旋律の隙間に潜むその人の呼吸だけを受信し始める
固定化された左耳のアンテナ・・・。

舞台中央の涙に濡れたその歌声に
思いきり酔ってしまえたらどんなにか楽だろう・・・。

背筋を襲う軽い浮遊感・・・。
瞬時に踏み込む、右足のペダル・・・。

白い鍵盤よ、悔いのない最後の「絵」を描いておくれ。

アンコールにふさわしい最後の「絵」を・・・・・。

割 田 康 彦


<編集後記>

私が東京Qチャンネルと初めて逢ったのは、中部日本放送に勤務していた時代に遡る。ちなみに過去の手帳を紐解いたら・・・1994年の12月13日。”18:00~『ぽっぷん王国』コメント録り”と、しっかりと記されていた。その時は、ほんの10分程度の時間を共有したにすぎないため、初めて逢った時の事を割さん、すどぱぁ共に覚えてない(笑)らしいが、私はその時から2人の音楽性とキャラクターに興味を抱いたものだ。あれから4年・・・Qチャンと数多くの仕事をした私であるが、今、このようにプライベートでもお付き合いをさせて頂く関係になろうとは思ってもみなかった。それでも、今回のスタッフの中でも私は比較的付き合いが浅い方の部類だが、スタッフにならずとも『報道大臣』の任務だけはやらせて欲しいと思っていた。本人達が見るこのページで書くのは非常に照れるのだが、何を隠そう!初めて見たQチャンのライヴ(1996年10月19日名古屋ハートランド)を上回るラ イヴを未だに見た事がないからだ。仕事柄数多くのアーティストのライヴを見る私だが、そんな想いをさせてもらったQチャンであるからして、どうしても記録として私のHP内に残しておきたい!そう思ったのだ。そんな気持ちが先行してか、読みにくい?大長編?になってしまったが、お陰で本人たちの次!と言えるぐらいにライヴを楽しめたと思っている。そんな自分をとても倖せに思えると同時にすどぱぁと割さんに逢えた事をよかった・・・と思っている。本当にありがとう。すどぱぁ、割さん!・・・そして、出逢いの神様に感謝したい。
最後に・・・大長編であるにもかかわらず最後まで読んで頂いた方にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
『ん?』で、結局、2人はどうなるのだ?
企画・構成・取材・レイアウト・文章・写真撮影  牛嶋俊明(Dreamtrain